凛とmonalisa

2017-04

金盞香(琳派ゆかりの地めぐり) - 2015.11.18 Wed

立冬の末候は、「金盞香」(きんせんかおる)
金盞とは、昔中国で、水仙の花の黄色いところを黄金の杯(金盞)に、まわりを 囲む白い花弁を
銀の台(銀台)にたとえて、「金盞銀台(きんせんぎんだい)」と呼び習わし たことによるそうです。

    金盞香

宿泊の京都ホテルオークラの朝食は、中華のバイキングでした。
バイキングって意地汚くいろいろ取ってしまうから・・・困るんですが
目聡い人にしか気がつかない様に、特別メニューの「フカヒレスープ」がありました。私は・・・勿論ネ^-^v

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京都ホテルオークラは、地下鉄東西線京都市役所前から直結していて便利です(定宿にしようかな!?)

2日目の「琳派ゆかりの地を訪ねる」は、まず鷹峰・光悦寺→常照寺→(昼食)→妙顕寺→本法寺です。

この地の選択は、某旅行社のプランに沿っています。
仁和寺の光琳好みの茶室「遼廓亭」も見たかったですが、5人以上7日前までの予約が必要でした。

琳派 map
黄色の線が、琳派ゆかりの地。楕円は、訪れたところ
信行寺は、琳派ではありませんが、友人お薦めの若冲の花卉画がある所


┏ ━┳━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━         
┃ ★┃ 光悦寺
┗ ━┻━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━

市営地下鉄烏丸線の北大路駅で市バス北1系統に乗り換え、約30分ほど・・・
源光庵前で降り、西に歩いて3分ほどで光悦寺の参道が見えてきます。

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少し紅葉し始め・・・朝日に照らされた苔が美しい

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本阿弥光悦の生家・本阿弥家は、室町時代から刀剣を鑑定してきた名家でしたので
幼いころから、あらゆる工芸(木工、金工、漆工、皮細工、蒔絵、染織、螺鈿)知識を身に付けたそうです。

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その後、父が分家となり家業から自由の身になった光悦は、工芸品以外にも書画や能面、庭など、
さまざまな芸術作品を創造するようになったといわれています。

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庭石一つ一つにも、光悦の魂が宿っているようです

家康から九万坪ともいわれる鷹ヶ峰の地を与えられた光悦は、ここに草庵を建て本阿弥一族や芸術仲間、
弟子、職人衆と共にこの地に移り住み、一時は55軒もの屋敷が並ぶ芸術村を作ったそうです。

光悦が亡くなった後に、本阿弥家の位牌堂は本法寺の日慈上人が、『大虚山光悦寺』に改めたそうです。
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光悦寺にあるこの竹垣は、矢来風に菱に組んだ組子の天端を割竹で巻いて玉縁とした光悦寺独特の垣、
垣根の高さは親柱からなだらかなカーブを描き端部が低くなっていて
平面的な部分と立体的な部分の調和が見事で~紅葉の枝が垂れ風情のある光悦好みの『光悦垣』

光悦が晩年を過ごしたといわれる大虚庵の路地と光悦寺の境内を仕切っています。

この竹垣は、現在ではさまざま場所で見ることができます。

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境内には、大虚庵など7つの茶室があり、11/10~13は、寺行事の為 拝観できません。

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本阿弥庵の前に広がる鷹ケ山、鷲ケ山、天ケ山の鷹峰三山

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紅葉最盛期には、凄い観光客でしょうが、ぽつりぽつりなので~ゆったりした時間がもてました。

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┃ ★┃ 源光庵
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光悦寺から常照寺に向かう道筋に曹洞宗『源光庵』があります。
ここは琳派とは関係ないですが通りに「血天井」などとオドロオドロしい標示があり、引き込まれます。

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このお寺は、曹洞宗で、鷹峰山寶樹林源光庵。

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本堂の血天井は、京都・伏見桃山城の遺構で、徳川家康の忠臣であった鳥居彦右衛門元忠ら
1800人が石田三成の軍勢と交戦したおり、自刃した380人の血が床に残りました。

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この戦いで亡くなった鳥居彦右衛門元忠らの冥福を祈るため、血の跡が残った床板を5つの寺院に分け
その一部が源光庵に奉納され・・・床板を天井にあげ、魂の供養が行われているそうです。

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飛び散る血の跡、足の跡・・・分かりますか?

元禄七年(1694年)、卍山道白に帰依した金沢の富豪中田静家の寄進により建立された源光庵の本堂には、
「迷いの窓」と名付けられた角窓と「悟りの窓」と名付けられた丸窓があります。

「迷いの窓」は四角い窓に「人間の生涯」を象徴し、
生老病死、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦の四苦八苦を顕わしているといい~

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「悟りの窓」は円い窓に「禅と円通」の心を表し、
ありのままの自然な姿、清らかで偏見のない姿、悟りの境地を教える窓といわれています。

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この二つの窓は、まず迷いの窓の前で自問自答し、そのあと悟りの窓の前で自分を見つめ直すことで、
純粋な本来の自分に変わることができるといわれています。

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私の自問自答は、勿論・・・。「待てば海路の日和あり」が浮かんできました。

「月落烏啼霜満天 江楓漁火對愁眠  姑蘇城外寒山寺 夜半鐘聲到客船」って、漢詩で習ったね!?
『月落ち烏鳴いて霜天に満つ 江楓の漁火愁眠に對す 姑蘇城外の寒山寺 夜半の鐘声客船に到る』

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旅愁を歌った名作として愛誦されている七言絶句で、寒山寺の名を天下に知らしめた詩・・・漢詩もイイね!!

書院の一間
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┏ ━┳━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━         
┃ ★┃ 常照寺
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源光庵から東に歩いて2分ほどで常照寺の参道に着きます。

日蓮宗の熱心な信者であった光悦から土地の寄進をうけた、寂光山『常照寺』は、
光悦の子・光瑳の発願により、身延山久遠寺第二十一世・寂照院日乾を招き開創された日蓮宗の寺院

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都をば 花なき里となしにけり 吉野を死出の山にうつして  紹益

吉野門と言われる朱塗りの山門があり、これは吉野太夫が帰依し寄進したものと言われています。

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吉野の門をくぐると、すぐ右手に・・・女性の心の象徴”帯”に感謝し祈りを捧げる全国初の「帯塚」が・・・
塚石は、四国吉野川産の吉野石で、珍しい帯状をなしています。
毎年5月には、帯の時代風俗行列や帯供養が営まれるそうです。

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日乾は境内に壇林(僧侶の養成機関・学問所)を創設し、最盛期には30あまりの堂宇が建ち並び、
数百人の学僧たちが厳しい戒律の下で修行に勤しんだそうです。

この常照寺は、日乾に帰依し、「天下随一の太夫」と謳われていた二代目吉野太夫が、
朱塗りの三門を寄進したことから、吉野の寺ともいわれています。

拝観受付時、喉が渇いたので、住職にお抹茶を立てていただくことにし~
身延山の隣町・南部町の出身であることを告げると、「南部町は、妙浄寺で望月本映さんですね?」と
仰るので「弟と同級生で、弟お寺さんの境内で受験勉強をしたり、遊ばせていただきました。」~というと
暫くして・・・「これは、滅多な人には差し上げないのですが、ご縁ですので」と
光悦はじめ交流のあった吉野太夫、灰屋紹益や琳派の流れを受けた作品の写真集をくださいました。

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光悦画の「日輪連乗図」と光悦書の「學室」

「私達・・・『持っている~ね』!!」と感動です。

本堂で、常照寺に纏わるDVDによると

吉野太夫こと松田徳子は京都に生まれ、7歳で遊里に預けられました。
14歳で二代目吉野太夫の名跡を継ぎ、天下の名妓とうたわれるようになりました。

全盛期の吉野太夫は井原西鶴の「好色一代男」に前代希代の遊女と記されるほどで、
その美貌が海を渡り、中国の明にまで届き彼女宛のラブレターまで来たそうです。

美しい容姿に加え、茶湯や華道、香道、書、俳句、和歌、三味線、囲碁の諸芸に秀で、
情に厚く、品性を備えていたという逸話まで残されています。

そんな彼女も26歳の時に本阿弥光悦の甥の子で豪商・灰屋紹益(佐野重孝)に身受けされ、結婚。
夫の紹益も文学、趣味の豊かな粋人で二人のロマンスは後世演劇、歌舞伎に戯曲家され有名~とか。

その後、彼女は38歳という若さでこの世を去り、遺言によって常照寺本堂裏の墓地に葬られました。

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悲しみに明け暮れた紹益は吉野の骨灰を飲み下し、その悲しみを詠みました。それが・・・
「都をば花なき里になしにけり 吉野を死出の山に移して」です。

吉野太夫の墓や太夫ゆかりの茶室遺芳庵があり、毎月第一日曜に、遺芳庵(吉野席)で吉野茶会、月釜が
催されます。また、毎年4月の第二日曜日に太夫を偲び、植えられた桜が満開の頃「花供養」が行われます。

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お抹茶を頂いていると、今まで我々だけでしたのに、ゾロゾロとグループの訪問があって~
「ゆっくりしていってくださいね」という住職の言葉に甘え、
吉野太夫ゆかりの茶席「遺芳庵」を見に行きました。
吉野が好んだ「吉野窓」と呼ばれる壁一面の大丸窓があるそうですが、生憎その日は茶室は外から~

仏教では完全な円は完成した悟りの姿を示すといわれていますが、この「吉野窓」は窓の下部が
切れて直線となっています。
吉野太夫はこの吉野窓に完全ではない自分の姿を映し、自らを戒めていたそうです。

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茶席「遺芳庵」では、毎月第1日曜日に吉野太夫を偲んで釜がかけられ、多くの茶人で賑わうそうです。

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常照寺の庭木も紅葉し始め・・・楚々とした風情に心奪われます。

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バスで北大路駅に向かい、地下鉄烏丸線の鞍馬口で下りて、京都ならではの『にしんそば』を食べ
次なる目的地は、妙顕寺→本法寺です。

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┃ ★┃ 妙顕寺
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妙顕寺は、元亨元年(1321年)に日蓮の遺命を受けた日像が創建の法華宗最初の勅願寺です。
法難などにより度々寺地を転々とし、豊臣秀吉の命により現在の地に移されたそうです。

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塔頭の泉妙院には尾形光琳・乾山の墓所があります。

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妙顕寺には龍華飛翔の庭、光琳曲水の庭、孟宗竹林の庭があります。

龍華飛翔の庭(四海唱導の庭)は白砂や石畳、石組、刈り込みなどを配した枯山水の庭園です。

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光琳曲水の庭は尾形光琳の屏風絵を元に作られた庭園で、大きな松の存在感に圧倒されます。

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孟宗竹林の庭は珍しい竹林の坪庭です。

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「四海唱導」とは、世の中(四海)の人々に教えを説いて(唱導)人を導くこと。

鎌倉時代には浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞、臨済宗の栄西、曹洞宗の道元など新仏教の祖師が輩出。
彼らの後に出て『法華経』の題目「南無妙法蓮華経」による救いを説いたのが日蓮聖人(1222~82)です。

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大覚大僧正(1297~1364)は、鎌倉時代から南北朝時代にかけて、京都を中心に畿内・西国で活躍した
日蓮宗の僧侶で、誕生は日蓮聖人より75年後。法脈上では、日蓮―日朗―日像―大覚と、4代目に当たる。

鎌倉を中心に関東で活躍された日蓮聖人の宗旨が京都にもたらされたのは、
ようやく大覚大僧正の師匠の日像上人(1269~1342)の代になってから~だそうです。

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大覚大僧正は、若くして京都妙顕寺の日像上人に入門し、その膝下で薫陶を受けるとともに、
鎌倉の日朗上人(1245~1320)の許にも度々参じた。長じて西国布教の旅に出、備前津島(岡山市)・
備中野山(岡山県吉備中央町)・備後鞆(広島県福山市)などを拠点に法華経を弘め、多くの末寺を開創。
日像上人の滅後、妙顕寺の第二祖となり、足利将軍家や公卿の帰依を得て寺門を発展に導いたのです。

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一方で西国の寺院には代官を置いて経営を行い、門流の拠点である関東鎌倉の妙本寺とも
緊密な連繋を保ち、布教や学問のために、自ら備中や駿河に赴いたこともあったようである。

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延文2(1357)年(延文3年とも)の旱魃に際し、雨乞いの祈祷を修して効験を顕した。
元政上人著『龍華歴代師承伝』によると、諸宗による請雨修法で験が顕れず、大覚大僧正に勅命が下った。

三百余人を引き連れて桂川のほとりに出向き、同音に法華経の読誦を始めたところ、
一巻が終わらないうちに雲が起こり雷鳴がとどろいて豪雨が降り出し、雨は数日やまず、
大いに喜んだ後光厳天皇から日蓮聖人に大菩薩号、日朗・日像両聖人に菩薩号を賜り、
自らは僧正に任じられたんだそうです。

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翌年には三千万部法華経如説読誦という大祈祷が行われ・・・

これは、後光厳天皇より綸旨が下賜され、幕府の足利義詮からは諸国末寺に触れて勧進し
朝家安全・武運長久を祈るようにとの教書が下されての大祈祷だそうです。

公武一体の要請のもとに実施された空前規模の祈祷は無事成就され、これにより大僧正に昇進した。
日蓮宗で最初の大僧正であり、異例な栄達といえる。

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この時発せられた「四海唱導として、一乗の弘通を致さるべき」との綸旨にちなみ、
妙顕寺では具足山の山号を用いず「四海唱導妙顕寺」と称する伝統が今に続いている・・・そうです。

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妙顕寺を出たところに「俵屋吉富」があり、和菓子を所望しました。

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┃ ★┃ 本法寺
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そもそも本阿弥家は、日親上人の本法寺創建当時から深い関係があるそうです。

光悦の曾祖父本阿弥清信は、刀剣の鑑定や研磨などを家業として、足利義教に仕えていましたが、
将軍義教の怒りに触れて投獄され、たまたま日親上人と獄舎を共にする身となり、
相親しみ相語らう内、上人の教化に深く感動して帰依致しました。

後に許されて獄舎を出た清信は、剃髪して日親上人より法名を授かり、本光と称し、
有力な日蓮宗の信者となり本法寺の大檀越となったのであります。

天正15年、現在の地に本法寺の伽藍が移転建立された時、光悦は父光二と供に尽力し、
私財を投じてその完成に努力しました。

本法寺の寺宝に長谷川等伯筆の「佛涅槃図」があります。
通常は、原寸大(10mX6m)の複製を展示。毎年3月14日~4月15日の間は直筆が拝観できるそうです。

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京都国立博物館の賑わいがウソのようです。観光客は、我々だけ・・・じっくり堪能させていただきました

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光悦書の「如説修行抄」
如説修行抄とは、日蓮上人が鎌倉幕府の弾圧によって動揺する門下に対して、
受難こそが如説修行の証であるから迫害を恐れず、
仏国土を実現に向けて、死身弘法するように・・・と、叱咤激励のために書いたもの。
この書は、光悦の筆づかいが表されていて、楷書・行書・草書を交え筆継ぎは強弱がきかされています。

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十(つなし)の庭・・・改装中で分かりにくいです。
庭に置かれている石の数が九つにもかかわらず「十の庭」とするのは、
庭の石は九つでも見る人の心にもう一つの石(意思)が存在することから名付けられたそうです。
なお「十」を「つなし」と読ませるのは、数字の一~九を数えると、ひとつふたつと「つ」がつきますが
十(とお)になると「つ」がつかないことから、「十」は「つが無い」・・・「十(つなし)」とされているそうです。

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三つ巴の庭と呼ばれる本庭は本阿弥光悦の作といわ・・・見取り図です。

巴の庭

室町期の書院風枯山水の影響を強く残しながらも、桃山時代の息吹を感じさせる名庭です。

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ここにも「光悦垣」がありました。

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書院の東側を主体とした約600平方メートルの全体の平面形態は、
書院東側から南部へ曲り込んだ鍵形となっており、
東南隅の奥深い部分にこの庭園の主役ともいえる枯瀧石組が据え置かれている。

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この枯瀧の中核には、大小の立石を用いた三尊石組の形式がみられ、
室町時代よりの枯瀧石組の伝統手法が巧みに再現されているとともに、
一段落して枯瀧手前に配置された縦縞紋様をもつ青石により、
水流の落ちる様相を表現している点には、斬新な趣向がうかがえる。

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書院の縁先間近い位置に、長さ1.5メートルほどの切石十本により、十角形に縁どられた蓮池があり、
その北部の半円を二個組み合わせた円形石とともに図形的意匠を見せている。

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半円を2個組み合わせて~『日』、十角形に縁どられた池に『蓮』が咲いて~これぞ正しく『日蓮』

円形の三つの築山(神仙島)のうち中央の島の山奥にある枯滝から流れ落ちてきた渓流は、
やがて石橋を潜って大海に出て、渦を巻いている・・・という「三つ巴の庭」
しばらく眺めていましたが、分かりにくかったです。

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本阿弥光悦作で国の名勝に指定されている三つ巴の庭に面したこの書院は、
文政12年に紀州 家の寄進によるもので、上段の間をはじめ18畳が三間あります。

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┏ ━┳━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━         
┃ ★┃ 信行寺
┗ ━┻━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━

「琳派を見に京都に行くのよ」・・・と言ったら、
「今、伊藤若冲の花卉画も公開されているから是非見てきて!!」と、言うのは、m-ariasさん。

タクシーを拾い行き先を告げると「あそこは、こんど始めて公開するんですよね!」と・・・運転手さん

4時半に信行寺着。受付終了まで、あと1時間半。境内に凄い行列が出来ていました。
特別公開は、10月30日~11月8日で、100名ずつぐらい、20分ぐらいの入れ替え制の様子。

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花卉画があるのは本堂の一画で、格子状に区切った167面の中の円形画面にすべて
異なる植物の絵が描かれてました。

信行寺

天井画は信行寺の本堂の「花卉図」。
格天井に計168個の正方形の格子面(縦横約38センチ)があり、円形の枠(直径約33センチ)中に
一つずつ花が描かれている。
ボタンやキク、ユリなどのほか、サボテンやヒマワリも。

江戸中期の絵師、伊藤若冲の最晩年の傑作で、19世紀後半に有力な檀家から寄進された・・・という。

若冲1 若冲2

若冲の天井画は極めて珍しく、信行寺や義仲寺(大津市)にもあるそうです。
「穏やかな雰囲気をたたえながらも、何としても描き上げようという若冲の強い意思を感じさせる」とは、
信行寺の本多孝昭住職。
公開は今回限りの予定~とは、貴重な機会となりました。

若冲3 若冲4

割れたものが数枚あり、住職の方いわく
「今回の公開にあたり夏頃から、マスコミ等に公開するため本堂の扉を開けたらヒビが入り割れた」とのこと
保存に湿度なども関係するようです

若冲6 若冲5
以上、天井画の写真はwebより

1716年、京都・錦小路の青物問屋の長男として生まれた若冲は家業の傍ら、
狩野派と関係のある絵師に絵の基礎を学びます。さらに狩野派を超える表現を目指し、
独学で中国の絵画の模写を千本にわたり続け、40歳で画業に専念。その過程で絵画の本質が「実物」に
あると目覚め、野菜や草花、鳥や虫など身の回りにあるものを徹底的に観察し、
鋭い写実と豊かな想像力により他の誰とも違う独自の絵の世界を追求し、切り開いてきました。

若冲は「奇矯で幻想的なイメージの表出を特色とする画家」(辻惟雄著「奇想の系譜」あとがきから)の
一人として1970年前後から再評価され、現在も人気が続いています。

ここも、写真撮影は出来ないので、「若冲画譜」やトートバックなどのグッツを買って、ゆっくり眺めることに~

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京都に来たら必ず寄る漬物屋さんが『加藤順 漬物店』です。

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お土産に、旬の千枚漬けや大好きな菜の花漬けなどを買って
ホテルまで荷物を取りに戻る途中で「リッツカールトン京都」が見えました。

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ここは、思い出の「ホテルフジタ京都」の跡地に建てられています。
今回、ここに宿泊も考えましたが、とてもとても~分不相応なお値段。
ティ―タイム利用で我慢しました。

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最後に行きたかったのは、錦市場の「有次」
ここで物相を買いたかったのですが、5時には閉店してしまうとのこと
市場で鰻の押しずしを・・・ツマミとビールを京都駅の伊勢丹で・・・
いつものように新幹線の中で夕食です。
充実した2日間でした。


         。,・~~・,。☆。,お 知 ら せ,。☆。,・~~・,。


       山宮律子201512
      
       山宮律子2015伊東屋

   場所が分かりにくいそうです。
   「額装売り場内」または「フレームコーナー」を目指して・・・行ってみてください。





18(-2.4)29.5 やっぱり切り干し大根+ヨーグルトの『K』効果あり~
19(-3.2)32.0 庭の湯で2set。しっかり水中ウオークが効いた~ね
20(-3.0)31.5 運動が足りなかった~ね。
21(-2.6)32.0 簡単に膨らんだり萎んだり・・・
22(-3.6)31.0 昨夜は、お家飲みでボジョレーヌーボーを~。今年の出来は・・・☆⌒d(*^ー゜)b グッ!!
 
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● COMMENT ●

こんにちは!
京都は修学旅行で行きましたがあの頃は何を見てたんだろうと意味がなかったことに気づきました
この年になってこうして説明を受けながら行きたいですね
事前学習があるとないとじゃ感じるものが違いそうです

家紋の格天井が古さを感じさせずステキです♪

ひまあゆさん、今晩は~

十分な予習をして取りこぼしのない旅をしてくる友がいます。
私は、余り知り過ぎると、それ目当てに行動をして、新しいものが目に入ってこなかったりするから
程々に計画を立て、臨機応変に動きます。

旅って、サプライズな出会いが面白いでしょう!!

こうして、旅行記を書いていると、見えてくるものがあるから不思議。

>家紋の格天井が古さを感じさせずステキです♪
  そう言われれば・・・です~ね。
  本堂は江戸時代に建てられたものですが
  天井は修理され、一面に寄進した檀信徒の家紋が奉納されています。
  (鳩の糞害で天井が抜け落ちたそうで、昭和の時代に修理されたそう。)
  天井いっぱいにずらりとならんだ様々な家紋は、なかなか壮観です~ね。




monalisaさん、

琳派ゆかりのお寺の数々、ちゃんと旅行社でここに行くといいですよ
と組んでくれたのですね。見るべきものはみんな見た・・という感じですか?

昨日行った美容院で家庭画報に琳派について特集が組まれていて、
「あっ、monalisaさんもこういうところを巡ってこられたんだな」と
思いました。

光悦寺は京都で乗ったタクシーの運転手さんが「紅葉を見るなら光悦寺がオススメだね」
といっていましたが、私はまだ行っていません。
独特の竹垣は有名ですね。

地図に出ていた琳派ゆかりのお寺に善峯寺がありますが、あそこは長~く伸びた
松があり、桜の季節はすごくよかったです。兄がしばらくその近所に
住んでいたこともあり、何度か尋ねました。

マスコミに公開したらそのために空気に触れて板にひび割れができたという
若沖の天井画の話。文化財の保護も大変ね。

盛りだくさんで、いろんなことがみっちりと詰め込まれた今回のブログ、
もう一度ゆっくりとお勉強しながら読み直しますね。

あっ、京都の伊勢丹でつまみと夕食を買って新幹線にというのは
私たちのいつものコースです。時によって、夫と二手に分かれそれぞれが
好きな夕食のお弁当を買ったりして・・・旅の締めとして新幹線の車中
ご飯もいいものですね。

ikさん、今晩は~

当初の予定では、クラブツーリズムのツアーで行く筈でしたが
紅葉の時期には、まだ早いので集客が満たなかったようで、11月3~4日コースは中止になってしまいました。

私が選んだ琳派ゆかりのお寺周りは、別な旅行社三越伊勢丹のプランを参考にしました。
京都国立博物館貸し切り~での研究員の解説やコンサートはないですが
自分たちの足で歩いた分、多くの収穫がありました~よ。(なんたって、旅費が1/3で済みました)

仁和寺の遼廓亭(光琳が乾山のために設計したと伝わる茶室や御殿)と芸艸堂は行けなかったです。

> 昨日行った美容院で家庭画報に琳派について特集が組まれていて、
> 「あっ、monalisaさんもこういうところを巡ってこられたんだな」と
> 思いました。
   ikさん、家庭画報より婦人画報の方が、作品の解説が面白いですよ。
   風神雷神図における3者のサイズから始まって
   肉体、顔立ち、髪型、雲、角、口の開き方などディテールの違いを
   とっても興味深く解説しています。
   鶴下絵三十六歌仙和歌巻においては、全部載せてあります。
   私は、これらのページを永久保存版にして・・・大切にしようと思います。
   まだ、探せば書店にあると思います。
   婦人画報の12月号、p.62~85・・・圧倒されますよ!!


> 光悦寺は京都で乗ったタクシーの運転手さんが「紅葉を見るなら光悦寺がオススメだね」
> といっていましたが、私はまだ行っていません。
> 独特の竹垣は有名ですね。
   光悦寺は、知る人ぞ知る紅葉の名所かもしれません。
   光悦寺に行ったら、常照寺にも行ってみてください。
   吉野太夫のことを知って、遊女とは言え、凄い人だな・・・と
   いままで見向きもしなかった井原西鶴の「好色一代男」も読んでみよう~なんて言う気持ちになりました。

   『光悦垣』知っていたんですね!!  

> 地図に出ていた琳派ゆかりのお寺に善峯寺がありますが、あそこは長~く伸びた
> 松があり、桜の季節はすごくよかったです。兄がしばらくその近所に
> 住んでいたこともあり、何度か尋ねました。
   善峯寺には、琳派の継承者で近代デザインの先駆者・神坂雪佳の作品が多く残されていて
   12面にも及ぶ襖絵や境内の松を描いた掛け軸が有名だそうです~よ。
   ikさんは、その松をご存知なんですね!?

> マスコミに公開したらそのために空気に触れて板にひび割れができたという
> 若沖の天井画の話。文化財の保護も大変ね。
   ハイ、そうなんですね。
   皆さん心配して・・・そのうちにどこかの美術館にうつされ
   レプリカが掲げられるのでは・・・と。   

> 盛りだくさんで、いろんなことがみっちりと詰め込まれた今回のブログ、
> もう一度ゆっくりとお勉強しながら読み直しますね。
   ありがとうございます。
   私は、今いろんなものを見たい心境に駆られています。
   六本木ヒルズの森美術館では、村上隆の「五百羅漢図展」3月6日まで~
   ルーシーリー没後20年で、ルーシーリーの器も見たいので、
   探したら1月16日~3月21日まで郡山市立美術館
   そうそう、12月17日は、シルビーギエムのファイナルツアーも予定しています。

   ちょっと欲張って・・・でも、今のうち~動けるうち~です。
   いっぱいイイものに出会って来ようと思います。

> あっ、京都の伊勢丹でつまみと夕食を買って新幹線にというのは
> 私たちのいつものコースです。時によって、夫と二手に分かれそれぞれが
> 好きな夕食のお弁当を買ったりして・・・旅の締めとして新幹線の車中
> ご飯もいいものですね。
   ハイ、次回の投稿は、京都で出会った珍しいお菓子や新幹線で食べたつまみも載せます。
   

京都満腹の旅
あちこち訪れて楽しまれましたね。
monalisaさんが行かれた所、大体一度は行っています。
こちらに居てもやはり京都と奈良は別物
幾度となく訪れますが、人の多さを我慢すれば
やはり桜と紅葉の時期は最高です。

hotterさん、今晩は~

この時期、人が多いでしょうね。

京都の紅葉は、息子が京都にいる時期に結構見て歩いたので
知り尽くしています・・・が、今回 訪れた光悦寺界隈は、あることすら知らなかったです。

京都、奈良・・・いいですね。

桜に時期にも・・・来年は、覚悟して~出かけますね。


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