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2014-07

南イタリアの旅 Ⅱ (ナポリ~アマルフィ海岸) - 2014.07.31 Thu

イスタンブールから2時間15分。いよいよ南イタリアの旅の始まりです。
南イタリアは、3000年の昔に入植した古代ギリシャ人たちの文明の跡、ローマ皇帝に愛された美しい海岸があって、詩人ゲーテは、著書『イタリア紀行』の中で南イタリアを「楽園」と称して各地を訪れたそうです。
ゲーテ

ナポリ着13;00(イスタンブールとナポリは時差が1時間・・・と言う事は、その時ナポリは14:00。)時差ボケは「体内時計」の時間と海外到着地の生活時間の間に大きなズレができることで起きるようですが、2日目午後の予定は、ナポリからバスに揺られ1時間半。世界一美しい海岸と称えられ、高級バカンス地として賑わうアマルフィ海岸のドライブと散策に出かけました。
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途中、何度も見え隠れする標高1277mのヴェスヴィオ火山の歴史をツアコンの吉田さんから~
大噴火は、西暦79年。79~1939年までの間に 9回も噴火。1631年の噴火では3000人の死者。1944年にも噴火していて東京ディズニーシー内にあるプロメテウス火山のモデルとなっているんだそうです。
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イタリア人気質は、陽気=ちょっといい加減=ノンビリしている、ゆったりしている。
陽気なイタリア人は、車、サッカーが大好き。イタリア語でいうマンマミーアは、オーマイゴッド!!男性はマンマが大好きで、何かあるとママに相談する・・・と言うので、イタリア人と結婚すると大変なのだそうです。
算数が苦手なのでつり銭も苦手。つり銭がないからこのボールペンあげる・・・みたいなことも起こり得るとか
お手洗いが有料な箇所も多いのです。
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┃★┃ アマルフィ
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塩野七生はその著書「海の都の物語」のなかでアマルフィを、『ナポリ湾の西の端にあるポッツォーリが古代ローマ時代の重要な軍港であったところから、歴史的に船というものに、慣れ親しんできたといえるであろう。 地勢的にも、猫のひたいほどの土地とはこういう場所のことを言うのかと感心させられるほど、狭くて耕作に適していない。 陸路も、今日ではサレルノとナポリを結ぶバスがアマルフィを通り抜けているが、この山腹を行くバスを海上から眺めていると、曲がり角ごとに鳴らすことになっている警笛が始終聴こえることでもわかるように、陸路を行こうとすれば、どこへ行くにも相当な困難を覚悟しなければ行けないようにできている。 自動車道路が開通した今日でさえもこれだから、一千年以上も昔は、それこそ陸の孤島であったろう。 アマルフィの男たちは、海へ出て行くより他に生きる道がなかったのである。』と書いてます。その警笛の音が、アマルフィーの名物なんです。
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アマルフィの地図
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アマルフィ海岸は、イタリア南部のソレント半島南岸、カンパニア州サレルノ県北西部のサレルノ湾に面した海岸を指す名称。切り立った断崖に張り付くように建物が密集し『世界一美しい海岸』と言われる景勝地で、1997年にユネスコの世界遺産に登録された。土地の名前の由来はギリシャ神話の英雄ヘラクレスが愛した妖精アマルフィーの名に由来。ヘラクレスはその妖精と仲睦まじく暮らしていたが、ある日突然、彼女が死んでしまう。それを嘆いたヘラクレスはこの世でもっとも美しい土地に彼女を葬り、街を切り開いて彼女の名を付けたんだそうです.。
アマルフィの地図上の②のお写真スポットから撮ったアマルフィ
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背後が切り立った山で耕地を持たなかったアマルフィですが、海に囲まれ、中東、アフリカ大陸に近いという地理上のメリットをフルに活用し、諸国との海洋貿易を積極的に行ったのです。北アフリカでは木材を売って、その対価として特産品である黄金を得て、今度は黄金を元に、ビザンチンで香辛料、貴金属製品、高級織物などに替えてイタリアに戻り、アドリア海の都ラヴェンナからポー川を船で遡り、パヴィアまで運んで巨万の富を築いたのです。
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このイタリア、アラブ、ビザンチンを結ぶ「三角貿易」で発展したアマルフィは、839年にナポリの属国から独立し、中世イタリアで最初の海洋共和国として名を挙げることになりました。6世紀末にはカテドラルが置かれるまでに発展。その礎となったのがアマルフィ人が備えていた商才を活かした貿易だそうで、その様子をうかがわせるタイルの壁画が、街のそこここで見ることができます。
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当時の繁栄を今日に伝える町が、石造りの大階段、その上に鎮座するオリエント風のファサード。
頂上に頂くモザイクをはじめ、その壮麗さで見るものを圧倒するドゥオモです。
10世紀末に建立されたこのカテドラルは、左背後に9世紀に建てられた別の教会を従えるという複雑な
構造になっていて街の守護聖人・聖アンドレアを祭る大聖堂で、創設は6世紀。もともとロマネスク様式で
あった建物を18世紀に改築したもので、モザイクと多色使いの大理石のファサードが見事。
見どころは尖塔のアーチが交差する独特の装飾が特徴の天国の回廊、キリスト受難の壮麗な
フレスコ画が施されたバロック様式の地下礼拝の天井、聖アンドレアの銅像など。
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町は小さく徒歩で十分観光できますが、お店やお土産屋さんも多くウインドーショッピングだけでも楽しい。また白い建物が入り組む裏道を入るとまるで迷路のようでとても面白い。町の中はほとんど車が通らないということもあって、安心してゆったりと散策できます。商店街を登りつめると「アマルフィ 女神の報酬」という映画にも出てきているプレセピオがあります。
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プレセピオは、キリスト生誕のことを分かりやすく教えるために作られたもので、アッシジの聖フランチェスコが考えだしたといわれています。
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自然の地形を利用して、オリーブやレモンなどを栽培するなど、文化的意義もあることから世界遺産に登録されたそうですが、店先には、「これがレモン!?夏みかんみたい!!」と見まがうばかりの立派なレモンが並んでいます。
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ドゥーモ広場に面する老舗パスティッチェリア『パンサ』は、クラシックな雰囲気の店内。ここの名物はアマルフィのサンタ・ローザ修道院が発祥といわれる『スフォリアテッラ』(貝殻をかたどったひだが何層もあるパイ状の生地の中にリコッタチーズ、カスタードクリームやアーモンドクリーム等を入れ、オーブンで焼き上げる。パリパリとした非常に硬い焼き上がりの菓子)だそうですが、残念ながらお腹がいっぱいで食べ忘れました。次回、アマルフィーに行くような機会があったらトライしてみます。
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我々が、『お手洗い有料』を回避するために寄ったお店でいただいたのは、レモンチェッロとレモンケーキ。
レモンチェッロは、カプリ島、ソレント半島、アマルフィ海岸の一帯が産地として有名。糖度の高い果実酒。レモンの果皮をアルコール度数の高い蒸留酒に一定期間浸漬した後取り出し、砂糖水を加えて1週間〜1ヶ月ほど置く製法が一般的。レモンの香りがして、甘味もあるので口当たりは良いですが、アルコール度数は30%以上あります。冷蔵庫や冷凍庫(凍結はしない)などでよく冷やして、食後酒としてストレートで飲むのが一般的な飲み方なんです。『デリッツィア・アル・リモーネ』は、スポンジとカスタードクリームをレモンクリームで包んだレモンケーキなんです。
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目抜き通りの入り口とドゥオーモから見た広場の様子
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ニースを彷彿させるアマルフィの海岸には、海水浴客が・・・ちょっと驚きの人発見。
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アマルフィノスタルジック散歩は、1時間半。
後ろ髪をひかれる思いでアマルフィからサレルノを通ってナポリに向かいます。
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┃★┃ ナポリ
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ナポリの起源は紀元前470年頃にギリシアの植民都市として建設。当時の町の名前は新しい都市という意味でネアポリス(Neapolis)と呼ばれ、碁盤の目のように整然とした都市計画のもとに整備されていたと考えられている。紀元前4世紀頃に古代ローマの支配下に入る。62年と79年に地震が起こり、深刻なダメージをナポリにあたえたが、復興をとげたそうです。
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ローマから南へ200km離れた南イタリアの代表的な街ナポリ。世界3大美港のひとつ。海からのイスキア島やカプリ島、真正面のナポリの峰の眺望は、美しく「ナポリを見て死ね」という諺にもあるようです。10年前は納得でしたが、産業文化発展と共に「どこがそうなんですかね!?」と言う声も聞こえてきました。
因みに、世界3大美港は・・・シドニー・ナポリ・香港とか!?
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ピッツァ・ナポレターナの本場で、旧市街地は「ナポリ歴史地区」として世界遺産に登録されています。

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┃★┃世界遺産 「ナポリ歴史地区」 ヌオヴォ城 と 卵城
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【ヌオヴォ城(Castel Nuovo)】は「新しい(Nuovo)城」を意味し、卵城と区別するために命名され、別名アンジュー砦とも呼ばれる。13世紀にアンジュー家出身のナポリ王カルロ1世が、フランスのアンジェ城をモデルに建築したといわれている。アンジュー家支配末期に度重なる戦闘の舞台となり、大きく破損するが、15世紀から18世紀にかけて改築されて、現在に残る。正面に3つの円筒形の塔を持ち、2つの塔の間に凱旋門が建っている。
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【卵城】は、ナポリ民謡で有名なサンタルチア港の小島に突出して作られた要塞で、もともとはローマ帝国にルクルスが建築した豪華な別荘。11世紀にノルマン人のオートヴィル家がナポリを支配すると、要塞として機能を拡大する。ノルマン人がこの城を築くにあたって、基礎の中に卵を埋め込み、「卵が割れるとき、城はおろか、ナポリにまで危機が迫るだろう」と呪文をかけたことが城の名前の由来だそうです。アンジュー家統治時代には税を納めるための倉庫に使われたそうです。
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卵城の屋上からは、ナポリの街並み、サンタルチア港、遠くにヴェスヴィオ火山までが見渡せるそうです。
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ナポリの夕景鑑賞は、ポジリッポの丘からが素敵!!
ナポリの夕景

夕食は、『スパゲティ・アッレ・ボンゴレ』と魚貝の『フリット・ミスト・ディ・マーレ』とレモンケーキ。
パスタは、古代から食べられていましたが、乾燥パスタが生まれたのは16世紀のナポリ。南米からトマトが伝わり、スパゲティとトマトソースの黄金コンビが誕生。日本のナポリタンはアメリカ経由で伝わったラグー・ナポリターノの変形・・・ということです。『スパゲティ・アッレ・ボンゴレ』は、殻つきあさりを白ワイン蒸しで・・・
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小麦粉をまぶしてオリーブオイルでさっくりと揚げた『フリット・ミスト・ディ・マーレ』をレモン汁で・・・
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アマルフィの『デリッツィア・アル・リモーネ』とは、雲泥の差のレモンケーキと見送ってくれたお店『TOTO SAPORE』のオーナー
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ナポリの宿泊は、『Holiday Inn Naples
機内泊を入れて長~い日を過ごし・・・疲れました。

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南イタリアの旅 Ⅰ (イスタンブール) - 2014.07.27 Sun

当初の企画では、HK社の格安旅行でしたのに、トレビの泉が改装中だったりして催行人数に達せず、急遽KT社に変えて1週間早めの出発。7月14日から21日まで6泊8日の南イタリアの旅に行ってきました。成田発22時30分は、ゆっくり出発だから、一夜漬けな私には楽ちんです。
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ターキッシュエアライン(旧トルコ航空:2014年2月に社名変更)にてイスタンブールへ  
飛行時間12時間半。朝4時半着(時差は6時間だから日本は、15日10時半)
乗継に時間があるのでオプションで『ネリマンさん』とイスタンブール5時間の市内観光です。
イスタンブールの通貨は、US㌦(1㌦=102円)かトルコ㍒(1₤=約50円)が必要!!
空港では、有名人に出会いました~よ。誰だか・・・分かりますか?彼は、14年初秋には、トルコ、イスタンブールで、日本・トルコ外交関係樹立90周年を記念する友好イベントを企画中なのだそうです。
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空港から旧市街地に行くまでに垣間見えるマルマラ海は、トルコのアジア側とヨーロッパ側の間にある内海で、北の黒海とはボスポラス海峡、南のエーゲ海(地中海)とはダーダネルス海峡を通じて繋がっています。
イスタンブールは、アジア側とヨーロッパ側を行き来する街でとても渋滞していましたが、マルマライ計画(Marmaray project)によって、ボスポラス海峡を横断する海底鉄道トンネルが作られ、渋滞が解消され便利になったんだそうです。この工事は日本の大成建設によって行われたそうです。マルマライ計画(Marmaray project)のMarmarayとは、計画区域のすぐ南にあるマルマラ海 (Marmara) と、トルコ語で鉄道を意味するrayのポートマントー(混成語)・・・ということです。
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イスタンブールのヨーロッパ側の旧市街地には、古代ローマ時代のコンスタンチノーブルと言う街を囲みマルマラ海からキンカク湾まで繋がる15,000mの城壁の遺跡がある。城壁は、1000年くらいのビザンチン帝国の首都コンスタンチノーブルを色々な民族からの攻撃を守った。
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トルコ人モハメット2世が1453年大きな大砲でこの街を攻撃して征服。コンスタンチノーブルはイスタンブールに変えられ、宗教は、キリスト教からイスラム教に変わったんだそうです。
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┃★┃ ヴィルヘルム2世の泉
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ブルーモスクの前、スルタンアフメット広場にあります。オスマン帝国末期の1899年、当時のドイツ皇帝ヴィルヘルム2世のイスタンブール訪問を記念してヴィルヘルム2世より、アブドゥルハミト2世に贈られた泉亭です。その後、第1次世界大戦でドイツ側についたオスマントルコは敗戦国となりアタチュルクの革命へつながります。八角形をしていて、イスラム教徒とキリスト教徒の教育の平和を象徴している。
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金色のきれいなドーム天井は、豪華な装飾で彩られ、内側には、ヴィルヘルム2世のサインと、アブドゥルハミト2世の花押(スルタンのサイン)が交互に飾られています...
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┃★┃ ローマ時代の競技場跡(ヒッポドローム)に立つオルベスク
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スルタンアフメットのブルーモスクのすぐ横の広場、アト・メイダン(馬の広場)は、3世紀に造られ、かつて10万人もの人を収容したとも言われている競技場ですが、現在は綺麗に整備された緑のある広場になっていて、ベンチも設えられ、市民の憩いの場となっています。その縦長の広場には、3つの碑が建っています。4世紀ごろは、ローマの宮殿があって、ローマ人は馬車のレースを見に来たローマ皇帝をここで見ることが出来た。その後、オスマントルコ人は、凱旋式など、色々な儀式の広場として利用した。
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【テオドシウスのオベリスク】
紀元前16世紀、エジプトのトトメス3世によって建てられたこのオベリスクは、テオドシウス1世がコンスタンティノープルへと運ばせたもの。四面にヒエログリフが刻まれ、また大理石の台座には、テオドシウス1世にまつわる彫刻が施されています。元は高さ60mもあったといわれていますが、現在は20mしか残っていません。
オベリスクの名称は後世のギリシャ人がobeliskos(串)と呼んだのが起源で、当時のエジプトでは「テケン(保護・防御)」と呼ばれていた。ほとんどは四角形の断面をもち、上方に向かって徐々に狭まった、高く長い直立の石柱である。大きいものではその重量が数百トンにも及ぶ。
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先端部はピラミッド状の四角錐(ピラミディオン)になっており、創建当時はここが金や銅の薄板で装飾され、太陽神のシンボルとして光を反射して輝くようにされていたとされる。また、その影を利用して日時計としての役割も果たした。
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古代オベリスクの起源は、太陽信仰のヘリオポリスのベンベンを模式化したものと考えられている。側面には王の名や神への讃辞がヒエログリフで刻まれ、太陽神と共に王の威を示す象徴とされた。
後の時代にローマ帝国がエジプトに侵攻すると、オベリスクは戦利品として頻繁に略奪された。4世紀に首都となったコンスタンティノポリスの競馬場にも略奪したオベリスクが運ばれ、現在のイスタンブールにも残っている。以降の時代も欧州諸国からの略奪は続き、それらの国の公園や広場の装飾品に用いられた。フランスのコンコルド広場や、バチカンのサン・ピエトロ広場にあるオベリスクはよく知られている。そのため、現代エジプト国内に残されたオベリスクはカルナック神殿やルクソール神殿などにわずかに残るのみとなった。
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トトメス3世のオベリスクの台座。テオドシウス1世が競馬場の観覧席から勝者に月桂冠を授けているところ

エジプトのオベリスクはその多くが花崗岩で制作されていたが、20世紀以降に南米で制作されたオベリスクの中には鉄筋コンクリート製のものもある。

【ヘビの円柱】
現在はらせん状になった青銅製の柱としか見られないのですが、元は三匹のヘビがからまり、先には三匹の頭もあったようです。これは、紀元前479年にペルシャ軍に勝ったのを記念してギリシャ・デルフォイのアポロ神殿に奉納されたものを、コンスタンティヌス1世が運んできたものです。なお、三匹のヘビの頭は、第4次十字軍によって持ち去られ、その内の一つはイスタンブールの考古学博物館に収められています。
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【コンスタンティヌスの柱】ウオールノクロム
テオドシウスのオベリスクの奥に見えるのは、10世紀、コンスタンティヌス9世によって建てられたコンタンティヌスの柱。この柱は高さは32mで、粗い石材を積み重ねて造られたものです。かなり痛んだ印象を受けるのですが、元々は周りを青銅で覆われたものだったようです。その青銅にはいろいろの説明があったそうですが、、第4次十字軍によって剥がされ、今はベネチアの博物館に展示されている。一番上にはシンボルの4頭の馬に引かれている馬車の像があったが、十字軍に盗まれ今は、イタリアのサンマルク教会の前に展示されている・・・なので、円柱についての知識がない・・・とネリマンさん。。
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イタリアのサンマルク教会の前の4頭の馬

ヒッポドロームの3つの碑、それぞれに歴史が刻まれていて、とても興味深いものでした。

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┃★┃ スルタンアフメト・モスク (ブルーモスク)
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トルコのイスタンブールを代表するモスクで、世界遺産であるイスタンブルの歴史地区の歴史的建造物群のひとつです。オスマン帝国の第14代スルタン・アフメト1世(当時14歳)によって1609年から1616年の7年の歳月をかけて建造された。
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設計はメフメト・アー。世界で最も美しいモスクと評される。世界で唯一優美な6本のミナレットと直径27.5mの大ドームをもち、内部は数万枚のイズニク製の青い装飾タイルやステンドグラスで彩られ、白地に青の色調の美しさからブルーモスクとも呼ばれる。

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床は、大理石で出来ている。噴水とジャグジーはモスクの中に入る前に身を清めるためのもの。
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スルタンは、アヤソフィアのような立派な見事な建物を作りたかったが、建築物としてはアヤソフィアほどではないが、中の装飾は、価値がある青色のタイル、青色のステンドグラスで飾られ鮮やかだそうで、中に入る時間がありませんので、入り口から中の様子を伺いました。
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約400年前からある2万枚以上の青いイズニックタイルを見てあるトルコ人作家が「ブルーモスク」と表現し、そこから「ブルーモスク」と呼ばれるようになった・・・というタイル
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なかでも画像の四角い柱部分のタイルは特別だそうです。
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通常、モスクの周囲にはその規模によってミナレットと呼ばれる尖塔が1~4本設置されます。一番大きいモスクでも4本が普通ですが、このスルタンアフメットモスクにはなんと6本のミナレットが・・・。
17世紀にメッカで6本のミナレットがあって、周囲のイスラム教の国は、スルタンに何故メッカと同じ6本にしたのかと聞いたら、スルタンは「私は『アルトゥン(金)』のミナレットを立てなさいと建築家に命令したが、彼が『アルトゥ(6)』と聞き間違えた・・・と、スルタンは言い訳にそういった。これは、トルコの伝説になっているそうです。
避難されたスルタンは、サウジアラビアのメッカに1基のミナレットを寄贈したので、今はメッカのミナレットは7本だそうです。ミナレットとはお祈りが始まる15分前にアラビア語で「お祈りの時間ですよ~」とイスラム教のイマム(指導者)が市民に呼び掛けるために生歌を歌うための塔です。ただ、今では生歌ではなく スピーカーから歌が流れています。
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入り口の天井のモザイク

イスラム教には五行(ごぎょう)という5つの戒律があるそうです。
信仰告白(シャハーダ):「アッラーフの他に神は無い。ムハンマドは神の使徒である。」と証言すること。
礼拝(サラー):一日五回、キブラに向かって神に祈ること。
断食(サウム):1年で30日の断食。ラマダーン月の日中、飲食や性行為を慎むこと。
巡礼(ハッジ):マッカのカアバ神殿に巡礼すること。
喜捨(ザカート):経済的に余裕があれば収入の5%をを困窮者に施すこと。
モスク内での肌の露出はNGです。ノースリーブやショートパンツの場合は スカーフなど肌を隠すものを持っていくといいそうです
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こちらがブルーモスクの ベスト写真スポット。6基のミナレットがしっかり見えます~ね。
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イスラム教の礼拝は金曜日
夏には音と光のショーも催され、幻想的にライトアップされた夜のブルーモスクの姿も楽しむことができるのです。

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┃★┃ アヤソフィア博物館
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アヤソフィアは聖なる知恵と言う意味。537年にローマの皇帝 コンスタンティウス2世によって作られた教会で、ドームの頂上には十字架があり、ミナレットは当時はなかった。聖堂として建設されたもので、帝国第一の格式を誇る教会、コンスタンティノープル総主教座の所在地であったが、1204年から1261年まではラテン帝国支配下においてローマ・カトリックの教徒大聖堂とされていた。5年間で建物は完成。中の装飾は15年。デザインはギリシアの物理学者ミレトスのイシドロスと、数学者トラレスのアンテミオスによってなされた。
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アヤソフィア博物館と現地ガイドのネリマンさん

各国からの攻撃で大部分は破壊されたが、アヤソフィヤ大聖堂は、残った。
トルコを征服したモハメット2世は、キリスト教大神殿に尊敬を表しアヤソフィヤ大聖堂は破壊しないで、キリスト教的シンボルのキリスト像を漆喰で固め、1453年5月29日から1931年まではイスラム教のモスクとして使い、その後は世俗化された。1935年2月1日から博物館として使われている。博物館に変わったあと、アヤソフィアの漆喰が落され、下から6世紀のキリスト教のモザイクが現れた。キリスト教のシンボルとイスラム教の偶像が両方見られる。地震もあったのに当時の技術で現在まで残ったアヤソフィヤ大聖堂は、面白くて綺麗で不思議な神殿だそうです。
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朝6時、客待ちの間、寝姿のパン屋のおじさん。シミット(ごまパン)というリング状のゴマパン
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アヤソフィア博物館の東側からは、朝日がさし、輝く空が綺麗でした。
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┃★┃ トプカプ宮殿
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トプカプ宮殿はメフメット2世が1465年頃造営を開始し1478年頃までに完成した。 それまで宮殿はグランドバザール東のベヤズットにあった。トプカプは「大砲の門」という意味で、トプカプ宮殿の名はボスフォラス海峡側に大砲が据えられていたことに由来する。当時の宮殿は単なるスルタンの住まいではなく重臣達を集めた会議が持たれ、国の方針が決定される政治の中枢でもあった。スレイマン1世時代の1588年にはハーレムもトプカプ宮殿に移された。 以来オスマン帝国の公式宮殿となり、歴代スルタンが増改築を繰り返した1856年アブドゥルメジット1世がドルマバフチェに宮殿を移すとその役目を終えた。1924年からアタチュルクによって博物館として公開されるようになり現在に至る。

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モメット2世がモスクに入って皇帝だけが暗殺の危険なしで安全に礼拝する『皇帝の門』がある。
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壁面には、イスラム教は偶像禁止なので、草花模様やアラビア文字が描かれている。
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現在トプカプ宮殿は武器・衣装・細密画・陶器などなど お宝がたくさんある展示室があります。
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700万㎡もの広い敷地は4つの庭園エリアに分かれていて各庭園の周りには
・セラムク…男性だけ
・ハレム・・・女性だけ。日本の大奥のようなもの
・ルスタンの居室
・議会 などがあり、宮殿自体がひとつの町として政治・文化の中心地として栄えていました。
ハレムは皇帝のお妃が住んでいる日本の大奥のようなところ。
シュリマン大帝の妃になったヒュッレム・スルタンの歴史的ドラマが、トルコ人の間で興味津々になっているそうです。
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トプカプ宮殿へ向かう道にはトルコアイスの屋台やお土産屋さんなどが並んでいます。
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┃★┃ シルケジ駅
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1888年に建てられた ヨーロッパからの国際列車終着駅で豪華列車「オリエント急行」でも有名。
今でもトルコ国内と西方向の国際線列車が発着しているそうです。
日本のような改札口はないので、ホームの横にあるオリエントエクスプレスレストランなどを覗いてみる。当然まだ開いていないが、このレストランは今日「Orient Express」と呼ばれ、旅行者の間では人気のスポットとなっている 。
また、アガサ・クリスティの『オリエント急行の殺人』の舞台にもなった。宮殿の中を通っているが、スルタンは鉄道は大事だから作りなさいと命令した
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マルマライ計画により、地下ホームの建設が進められており、完成後は海底トンネルを通って、アジアへ直通できるようになるそうです。
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┃★┃ ガラタ橋
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ガラタ橋は、トルコのイスタンブールの金角湾に架かる跳ね橋である。初代の橋は1845年に開通した。現在の橋は1994年12月に開通した5代目である。金角湾では鰹が良く獲れて鰹の鱗は金色に輝き、口は角のようなので金角湾と呼ばれたのです。
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長さ490m、主橋脚間80m、幅42mで片側3車線と歩道を備え、市街電車も通る。船が通行する中央部以外は上下二層になっており、上層が車道、下層がレストラン街となっている。ガラタ橋は、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロに建築を要請したことがあったらしい。
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ガラタ橋の2階部分では、多数の釣り人が釣り糸を垂れている。バケツやスチロールのトロ箱に釣果が確認できたので、それなりには釣れるのでしょう。背後には、エジプトバザールに隣接するモスク『イェニ・ジャーミィ』が見える。
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おや!?これは何でしょう?水タバコのsetだそうです。mhさんは、ウズベキスタンで経験したようですね。
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┃★┃ トルコの食事
┗━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
トルコの朝食は、スブリーと呼ぶパン。
フェトチーネのようなラザニアのような生地を幾重にもみっしり重ねてケーキ状にして焼き上げた料理。
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ぷるぷるした食感の生地のところどころにはカッテージチーズが入っている。表面は固いパイのようにメリッとしている。オイリーで全体にうすい塩味。塩ごはんに通ずる素朴なうまさ。中は熱がこもってアツアツ。
緑色の野菜は何か?・・・と尋ねたら、「パセリ」と言ってましたが形状と味から「イタリアンパセリ」のようです。
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お店の中のショーケースの中には、ケーキ類が~(*^¬^*)美味しそう~~!
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アジアやヨーロッパ、そしてエジプトなどの文化の行きかうトルコは『文明の発祥地』と言われている意味が実感できますね。
古代からの文化遺産により、トルコは情報と文化に富んだ国となりました。ハッティ、 ヒッタイト、フリギア、ウラルトゥ、リキュア、リディア、イオニア、ペルシア、マケドニア、ローマ、ビザンティン、セルジューク、オスマンはトルコの歴史の中で重要な役割を果たしています~ね。 現地ガイドのネリマンさんのお話をお聞きして、歴史や文化について、もっとトルコを知りたくなりました。
空港でネリマンさんとお別れ!!ありがとう Tesekkur ederim (テシェキュレデリム)
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ネリマンさんとブルーモスクにいた猫

イスタンブ-ル空港について、同じKT社のメンバーに出くわした。大阪発で、コースはイタリア大周遊だそうで、我々より30分遅くついて、空港内でずっと待っていたそうです。イスタンブル市内観光をしてきたことを告げると「サバサンド食べた?」と・・・。
「サバサンドって、なんだろう?」 帰国時のフリータイムの楽しみが・・・ (((o(〃⌒ー⌒〃)o)))ワクワク!
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機内食です

イスタンブールから南イタリア最大都市ナポリへ飛行時間2時間15分。ナポリ着7・15午後13:00.日本との時差は8時間です。(日本時間は、7/15午後21:00)壮大な歴史遺産と活気ある庶民文かが魅力のナポリ。太陽と海に恵まれた南イタリア旅行の中心地は、眩いほどの輝きで我々を誘います。

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